【 山形県山形市 】
大化の改新(645年)以降に中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)、後の天智天皇の腹心として藤原氏繁栄の礎を築いた中臣鎌足(なかとみのかまたり)、後の藤原鎌足のひ孫に、信夫郡(しんぶぐん)の郡司(ぐんじ)である藤原豊充(ふじわらのとよみつ)という人がおりました。
豊充には阿古耶姫(あこやひめ)という大変に美しい娘がおり、その阿古耶姫が、ある春の夜に独り琴を弾いていると、何処からともなく笛の音が聞こえてきたので、見上げると美しい若者が立っておりました。
若者は名取左衛門太郎と名乗り、二人は恋に落ちて人目をしのんで会うようになりました。
ある夜、左衛門太郎は自分の正体が千歳山(ちとせやま)の老松の精霊であり、近い将来 名取川の橋に架けられるために切り倒されることを打ち明けて、姫に別れを告げました。
いよいよ伐採されることとなった千歳山の老松ですが、松は切っても切っても翌朝には切り口が元に戻り、なかなか切り倒されませんでした。 しかし、切り口から出たはずの“おがくず”が無くなっているのに気付いた者が、おがくずを燃やすようになると松の切り口は塞がらなくなり、ついに千歳山の松は切り倒されてしまいました。
だが今度は、松を運ぼうとしてもさっぱり動かない。そこへ阿古耶姫がやってきて切り倒された松を見て嘆き悲しみ、松に手をかけると初めて動き出した。 松が峠まで運ばれると、老松の精が阿古耶姫に自分の供養をしてくれるようにささやいた。ここからささやき峠、さらに笹谷峠と呼ばれるように。
こうして千歳山の松は名取川の橋になりました。残された阿古耶姫は千歳山に阿古耶の松を植え、傍らに庵を結び左衛門太郎の霊を慰め続け、そこで生涯を終えたと言われています。
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