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≪伝説・言い伝え≫
海女の玉取り伝説

【香川県 さぬき市】

 昔、当時の中国の名称である唐の第3代皇帝、高宗(こうそう)に嫁いだ藤原鎌足の娘である白光は、亡き父の供養物として数々の宝物を、兄である藤原不比等に届けようとしました。
ところが、宝物を積んだ船が志度の浦にさしかかったとたん嵐が起こり、唐に二つとない宝物「面向不背(めんこうふはい)の玉」が龍神に奪われてしまいます。

 藤原不比等は玉を取り戻そうと、公家の高官である身分を隠し、淡海(たんかい)と言う名で志度の浦へやってきました。
そこで漁師の娘であった海女と恋に落ち、房前(ふささき)という男の子を授かり、親子三人で幸せに暮らしていました。

 ある日、不比等が自分の素姓と志度の浦へやって来た目的を海女に明かすと、愛する人のために玉を取り戻そうと、海女は死を覚悟で龍神のいる竜宮へ潜っていったのです。

 海上で待っていた不比等は、海女の合図で命綱をたぐってみると、目の前に現れたのは、今にも事切れそうな海女の姿でした。海女は間もなく不比等に抱かれたまま死んでしまいましたが、玉は海女の命に代えて取り返すことができたのです。

 不比等は亡くなった海女を志度寺に葬ると、残された房前を都に連れて帰っていきました。

 藤原一族として高官に出世した不比等と海女の子である房前は、母の最期を知った後に志度寺を訪れ、千基の石塔を建立し、小堂を大きな堂塔に立て替え、さらに法華八識を納めて亡き母の菩提を弔いました。

  この伝説により志度の浦は玉浦と呼ばれています。また、面向不背の玉は奈良の興福寺に納められましたが、現在は琵琶湖の島、竹生島の宝厳寺にあります。ただ、なぜ宝厳寺にあるかは今も謎のままです。

 須我神社

志度寺(しどじ)

推古天皇のころの創建で、補陀落山(ふだらくせん)と号する、四国霊場八十六番の名刹です。平安時代末期の源平合戦の舞台ともなった境内に、海女の墓と伝えられる、苔(こけ)むした五輪塔がひっそりたたずんでいます。

【住所】香川県さぬき市志度5385番地8

 



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